オタクゾンビ

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既存の物も,新規の物も興味を持てなくなってしまったオタクの話


“オタク”という言葉が死語になってすでに長い時間が流れるが,あえてこの”オタク”という言葉を使わせてもらう。
“オタク”とは狭義の意味のアニメ・マンガ・ゲーム好き,特に(これもより死んだ言葉だが)『萌え系』のものを追う人間をいう。
ご承知の通り私も中学~22,23才まではそういったものにどっぷりであった。オタクであることを誇りに思っていたフシもあるし,オタクとして老いて死んでいくと本気で想像していた。

しかし現実はそうではなく,年齢を重ねるたび興味が薄れるが,完全に離れるわけでもない,中途半端なオタクとなっている。
私の場合は最後にハマったジャンル(艦これ)のみを,本家のゲームをプレイするわけでもなく,ツイッターで流れてくる画像やPixivを惰性的に見ているだけである。暇があれば見ているが昔ほどの強い興味があるわけでもない。
そして新しいアニメ・マンガを見たり調べたりすることは限りなくない。わざわざ後輩が「このアニメ面白いっすよ!」と進めてくれても一話の半分も見ることができなかった。
別に面白くなかったわけではない。なんなら冒頭しか見ていないのだから面白いも何もない。ただただ「見ることができなくなっていた」だけなのだ。


新しいものを追うわけでも,夢中になり続けるものがあるわけでもないが,惰性的に昔見ていたジャンルを見ること。まるで音がなる方向に進んでいくだけのゾンビのように。
オタクゾンビとはそういったものだと私は定義する。
ある種オタクとは不治の病のようなもので一度オタクになったら死ぬまでオタクであると思う。多かれ少なかれオタク文化に惹かれ続ける。

問題なのは他になにか趣味ができたりするわけでもなく,惰性的にオタクであることだと思う。
人が変わることは自然なことだ。ただ単に興味が薄れたからそうなっているだけだと言うのは簡単だがそれだけで済ませてはいけないような気がするのも確かだ。
オタク文化の良さというのは裾野の広さだ。今までは狭義的にオタクというものを語っているがオタクというのはどんなジャンルであってもなれるものである。
スポーツであっても,料理であっても文化的に確立されているものであればオタクになれる。
オタクとはそのジャンルの沼に入って潜っていけるだけの夢中性であると思う。オタクになろうと思ってオタクになるのではなくいつの間にかオタクになっているというのが正確に表現できていると思う。

ではオタクゾンビは何かと言ったらオタクになっていたがいまやそれを維持できるだけの夢中性がないが,他になにもないからオタクをただなんとなくやっているだけ,といった状況。これが進めば典型的な嫌われるオタク……老害と言われる存在になってしまうのではないかと思う。懐古主義といってもいい。新しいものは否定し,昔を肯定し続ける。
現実自分はそうなっている部分も多々あるとおもう。後輩の紹介してくれたアニメ(いわゆる転生モノ)だって馬鹿にしている部分が全然ないなんて口が裂けても言えない。確実に自分がオタクだった頃の同ジャンルのアニメと比較している。


どこかにある人生に対する不安感というのはここに一つあるのかもしれない。
話を大きくし過ぎなのかもしれないが,この「何に夢中になっていいのかわからない」とか「楽しめない自分はなんなのか?」という焦りは間違いなく私にはある。
精神的が死んでいくさまを,ゾンビのように精神が死んでいるが肉体は徘徊し続けるような恐怖を感じる。

ところでひとつ,この記事を書いていてゾンビ化を食い止められる,もしくは生き返れる可能性のある言葉を思い出した。
私の人生の中で最もハマったと言えるアニメ作品は「攻殻機動隊」なのだがTVアニメ版1期の最終話での主人公のセリフだ。
この話は複雑すぎてあらすじを書くのも大変なので各自調べてもらいたいのだが,作品テーマの中の一つに没個性化していく人間と個性化していくロボットの対比というものがある。
個性というものを持っているはずの人間が誰しもが均一に同じ考えで,何かを模倣していく。自分の考えも個性はなくなっていく。
それに対し没個性化させているのにどんどん個性を獲得していくロボット。
作中での『人の没個性化』というのは核心で,没個性化していくから話が進んでいく。そんな中主人公は個性化していくロボットを見守っていくことで可能性を見出す。
『私は情報の並列化の果てに個を取り戻すためのひとつの可能性を見つけたわ。それは”好奇心”』

まったくもって根っからのオタクだと自分で自分に苦笑してしまうが,このゾンビ化とは作中における没個性化であると思うし,その原因は受け身的な情報の収集であると思う。
好奇心があること,それはすなわち夢中になることであり自分の老害化を止める一つの道であるとおもう。『耳と目を閉じ口を噤んで』生きていくことは没個性化をすすめることだ。


好奇心をもつこと。
きっとはじめは意識的でなければならないだろう。
自分の夢中になれるものに出会えたら,勝手に夢中になっていくものだと言う考えがあったがおそらくそれはないだろう。
過去にはあっただろうがすでにゾンビとなってしまった自分にはそれはない。
悲しくもあるが,希望でもある。視点を変えれば新たな段階だと言える。
無理にでも好奇心を持つ。それがゾンビ化を止める可能性の一つだ。

そんなことを考えながら今日はここまでにしておく。

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